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*白雪の日にて

「わあ! 凄く積もりましたねぇ!」

 

 

金髪の少女が、白い息と共に感嘆の声をあげた。

 

 

「昨日は一日降ってたからな。当然と言えば、当然か」

 

 

灰色髪の男が真っ白な道路を一瞥し、げんなりと呟いた。

オフィスビルが点在する道に積もる雪をさくさくと踏み分け、ふたりは歩いていた。

昨日の曇天が嘘のようにこの日は雲ひとつない快晴で、燦々と降り注ぐ日光が雪に反射して、きらきらと輝いていた。

ラビエールは隣を歩く男を見上げ、にっこりした。

 

 

「でも、今日はぽかぽかしてて良かったですね。もちろん風は冷たいですけれど、路面凍結の心配はなさそ…」

 

「おいラビ、油断してると」

 

「ひゃわあッ!」

 

 

見事に足を滑らせて、ラビエール・ホワイトはずべしゃあッという音と共に、雪道にすっ転んだ。

灰色髪の男、もといイーヴィルは遅かったかとばかりにこめかみを押さえる。

 

 

「…ったく、言わんこっちゃない。足元を見てねぇからそうなるんだ」

 

「あうううう…!」

 

 

ラビエールは見る間に赤面し、あわあわと立ち上がった。

もこもこしたクリーム色のコートをまとい、もこもこした白い手袋と耳当てをした彼女は、もこもこした羊のようだった。

言ってる傍から彼女は、再びつるりと足を滑らせる。

被った雪をはらってやっていた彼は、反射的に事故多発な少女を抱きとめて呆れた。

 

 

「落ち着け。てめぇは生まれて間もない子鹿か。しっかり地面に足つけてから立て。……怪我されると困る」

 

「すっ、すっ、すみません」

 

 

羞恥にさらに頬を赤らめて、ラビエールはイーヴィルの腕の中でもごもごと謝った。

イーヴィルは少女がしっかり地面を踏み締めるのを確認すると、腕を解いて言った。

 

 

「ほら、必要なもん買うんだろう?行くぞ」

 

 

緩んだ白いマフラーを巻き直しながら、彼は颯爽と歩き出す。

もこもこした少女は、慌てて黒スーツの男に従った。

 

 

上司に頼まれたのであろうインクとペンを買い、続いてパソコン用の備品を買い、ふたりは街なかをゆっくりと歩いた。

途中、ラビエールが嬉しそうに走り寄ったのはファンシーショップのショーウィンドウで、もこもこした縫いぐるみがボタンの目でふたりを見上げていた。

イーヴィルが立ち止まったのは小さな売店で、新聞と煙草と缶を手に、彼は戻ってきた。

公園のベンチに腰を下ろして、イーヴィルは缶のホットチョコレートをラビに突き出す。

 

 

「ん」

 

「ふわあ、ありがとうございますーっ!」

 

 

目を輝かせて受け取る金髪の少女は、早速ほくほくとプルタブを引いた。

温かいホットチョコレートをふーふー吹きながらすする少女は、珈琲を口に含む隣の男ににぱっと笑いかけた。

 

 

「お買い物に付き合ってくださってありがとうございました、イーヴィルさん。何だか、荷物まで持っていただいちゃって…」

 

 

イーヴィルはきょとんと紅い左目を小柄な少女に向け、僅かに肩を竦めた。

 

 

「別に、礼を言うほどのことじゃねえだろ。そもそも麻桐にパシられたのは俺で、てめぇはその手伝いついでに必要物品買いに来たんだから。……だいぶ歩かせたな」

 

 

ラビはふるふると首を振った。

金色の光もふるふると揺れる。

 

 

「いいえぇ、久し振りに街を見れて、とっても楽しかったですよう」

 

 

彼は不思議なものでも見るように、目を瞬いた。

 

 

「楽しいっつうほどてめぇ、何も買ってねえはずだが?? 最低限のものしか買ってなかったよな」

 

「女の子は、ウインドウショッピングだけでも楽しいものなのです」

 

 

自信満々に言う相手に、男はますます首を捻った。

彼には、ウインドウショッピングなるものの楽しさがよくわからないらしい。

ラビは夢見るように、うっとりと続ける。

 

 

「街角の鞄屋さんの赤いバッグはとっても可愛かったですし、ペットショップのにゃんこは凛々しくて美男子さんでした! あのファンシーショップの縫いぐるみなんか皆こう、もふっとしてて……もう見てるだけで幸せです~!」

 

「それはまた……随分安上がりな幸せだな…」

 

 

上機嫌なラビエールを横目で眺め、イーヴィルは珈琲をすすった。

やはり、彼にはどうもこの少女の幸せとやらがよくわからないらしかった。

イーヴィルは言う。

 

 

「欲しいなら、買ったって良かったんだぞ? 縫いぐるみひとつ増えたところで、困ることはないし」

 

 

きょとんと少女は大きな瞳で彼を凝視し、続いて苦笑した。

 

 

「本当ですか? …じゃあ、……うーん…そぉですねえ。でも…、今日は必要なものを買いに来たので、また今度! 今度買うことにします!」

 

 

イーヴィルは再びホットチョコレートをふーふーし出す少女から新聞に目を落とし、心の中で呟いた。

 

 

(全く……無欲なことだな)

 

 

彼が覚えている限りで、彼女が自身の娯楽品を購入したことはない。

 

また今度。

また今度。

 

……その『今度』とはいつのことを指すのか、彼には皆目見当もつかなかった。

 

ふたりの前に広がる公園で、子供達の笑い声が聞こえる。

子供は元気だ。

その子達が作成しているのであろう雪だるまや雪の壁が、だだっ広い空間のそこかしこに窺えた。

元気に走り回る子供達を目で追っていたラビエールが、不意に立ち上がった。

 

 

「あっ!」

 

 

ベンチのすぐ近くを走っていた小さな少年が、雪の上にころんとこけたのである。

缶をベンチに置いて、彼女は少年に手を貸しながら言った。

 

 

「大丈夫? 痛くない??」

 

 

雪をはらってやる金髪の少女に、子供は一瞬呆けたように見惚れたものの、すぐににぱっと笑った。

 

 

「へーきっ! なあ、姉ちゃんは何処の人?」

 

「私はですねぇ…」

 

 

子供につられたように笑って、相手の目線に合わせるように屈み込むラビエールは楽しげだった。

新聞から目を上げて眺めるイーヴィルの前で、わらわらと幼い少年少女がラビエールの傍に寄ってきた。

興味津々な目でラビエールを見る彼らは、きっとラビエールを自分達と同レベルだと思ったらしい。

見る間に仲良く話し出す集団を見て取り、イーヴィルは感嘆ともつかぬ溜め息をついた。

 

 

(子供を手懐けるのが上手いのか…あるいはラビ自身が子供思考なのか。よくまあ、あの数を相手にできるもんだ)

 

 

そんなことを心の中で呟く彼の前に、数人の子どもを連れたラビがちょこちょこと小走りで寄って来た。

 

 

「イーヴィルさん、あのっ!」

 

 

わくわくと頬を上気させ、目を輝かせる少女が一体何を言おうとしているのか彼には考えなくてもわかることで、イーヴィルはやれやれと首を振った。

 

 

「どのみち、今日は1日時間取ってっからな。……夕方までだぞ?」

 

 

ぱぁっと笑顔を咲かせ、ラビは胸の前でぽんと手を打ち合わせた。

 

 

「わあ! ありがとうございます~! 皆、私も仲間に入れてもらっても良いですかあ?」

 

 

あっという間に雪だるま作りに引っ張り込まれてしまったラビエールは、子供の世話をする保母のようだった。

一生懸命小さな手を動かす少女を手伝ったり、喧嘩を始めた少年達をなだめたり、あったにこっちに引っ張られて忙しそうだった。

我先にとラビエールにまとわりついて甘える子供達をベンチから眺める男の顔は、心なしか優しかった。

 

彼が新聞を読み始めて数十分、向こうで「ひゃああっ!?」という驚いた声があがった。

如何やら雪だるま作りに飽きた少年が、ラビエールの後ろ首に雪を入れたらしい。

俄かに騒がしくなって、ちらとイーヴィルが目を上げると、そこは既に雪合戦場と化していた。

子供達に紛れて、あの金色も元気良く走り回っているのが窺える。

普段の運動音痴は何処へやら、ラビは雪の壁に隠れて雪玉をしのいでは、次々と的確に子供達を雪玉の餌食にしていった。

誰かが雪に当たる度に、高い声と笑い声があがる。

 

ちょうど息を弾ませてベンチまで逃げてきたラビエールはちっとも雪を被っていなくて、イーヴィルは訝った。

 

 

「てめぇ、本当元気だな」

 

「はぁっ、はぁっ、…ふぇ?? 何ですかイーヴィルさん?」

 

 

聞こえていなかったのか、雪合戦に集中していたのか、ラビは笑顔で男を振り返り、そう聞き返した。

イーヴィルは、飛んできた雪玉を首を傾けて器用に避けながら新聞をたたみ、言った。

 

 

「まじガキ」

 

 

如何やら彼は、反射神経が良いらしい。

彼にとってへろへろの投球など避けるのは、造作もないことだった。

空き缶片手に立ち上がりながら僅かに口角を上げる彼に、ラビはきょとんとした後、にっこりした。

 

 

「イーヴィルさんも如何ですか?」

 

 

屑カゴに空き缶を捨てる男は、呆れ顔をした。

 

 

「子供じゃあるまいし、やらねぇよ。俺はパスだ」

 

「ええー!」

 

 

ラビが不満げな声をあげると、足元にいた幼い少女も彼女に倣って「ええー!」と男を見上げた。

イーヴィルは肩を竦めた。

 

 

「おい、良いのか? 止まってると狙い打ちされんぞ??」

 

「きゃああっ!?」

 

 

言われた傍から、ラビエールの背中に白が弾けた。

広場を振り返った彼女は、憮然と大声をあげる。

 

 

「こっ、こらあ! お話し中に雪投げるの禁止ぃーっ!」

 

 

広場から笑い声が漏れた。

イーヴィルに向き直ってむううと頬を膨らませるラビエールは、まるで子供に戻ったかのようだった。

ラビは唇を尖らせて文句を言う。

 

 

「もうっ、どぉしてもっと早くに教えてくれないんですかあ!」

 

 

イーヴィルはしれっと言う。

 

 

「そうムキになるな、ラビ。子供じゃあるまいし」

 

「うっ、ううー! いじわるです!」

 

 

余裕の表情でぽんぽんと頭に手を置くイーヴィルに、ラビは恨みがましい目で叫んだ。

ふたりのやりとりを見ていた足元の幼い少女は、ラビのコートの袖をくいくいと引きながら尋ねた。

 

 

「お姉ちゃんお姉ちゃん、このお兄ちゃんはだあれ?」

 

 

ラビは表情を一変、優しい顔で少女を見下ろした。

 

 

「ん、この人はねぇ」

 

「姉ちゃんのコイビトだろ?」

 

 

後ろから駆けてきた幼い少年が、大人びたようにそう叫んだ。

きょとんと振り返るラビの後ろで、イーヴィルがたじろぐ。

 

 

「っな…!?」

 

「だってさっき、姉ちゃんとベンチでくっついて座ってたもん。オレ見た!」

 

 

自信満々に胸を張る少年に、男は肩を怒らせる。

 

 

「ちが…てめっ」

 

 

動揺していたからだろうか。

注意力散漫になっていたマフィアの男は、普段から想像もつかないような失態をおかした。

四方八方からへろへろ飛んできた子供達の雪玉を、ものの見事に食らったのである。

ばすんばすんばすんと、彼の黒いスーツに白い花が咲く。

少年はくるりと踵を返して、ぱっと逃げ出した。

 

 

「うわ、姉ちゃんのコイビトが怒った! きゃははっ!」

 

 

大声で囃し立てながら逃げていく子供の後ろで、灰色髪の男の額にぴしりと青筋が立った。

ゆらりと足を踏み出す男は、弾丸すら食らったことのない漆黒のスーツから雪を滴らせ、低い声で言う。

 

 

「ほう? ……そんなに俺を怒らせてぇのか」

 

「い、イーヴィルさん? ……あのう」

 

 

後ろで金髪の少女が声を掛けるが、彼は聞いていない。

 

 

「上ッ等だてめぇら! 雪合戦なり何なりやってやろうじゃねえか、おお!? 覚悟しろッ!」

 

「あのぉ~? あまりムキにならない方が……」

 

 

苦笑するラビエールの目の前で、早くも男の雪玉が次々と子供達を仕留めていく。

子供達の間から、興奮したような悲鳴と、楽しげな笑い声が漏れた。

新たに男が加わってヒートアップした雪合戦が夕方まで続くのは、言うまでもない。

 

 

 

白雪の日にて

(……。…………何故ふたりともびしょびしょなのですか?)

(や、あの、雪に少々時間を取られまして)

(上から下まで、雪にまみれておりますが)

(はっくしゅッ!)

((雪合戦やってたなんて言えねぇ……))